季節は夏真っ只中の八月上旬、池田病院の屋上で、盆踊り大会が開かれた。
閉鎖病棟の人も開放病棟の人も、皆、集合した。
最初に池田院長から、挨拶があった。
皆、列をなして、院長の話に聞き入った。
挨拶が終わると、いよいよ盆踊りの始まりである。
屋上の中央にやぐらが組まれ、太鼓が設置されていた。
日本民謡に合わせて、太鼓がリズム良く叩かれる。
実に、心地よい響きだ。
皆、やぐらを中心に大きな輪になって、踊り始めた。
僕は屋上の隅に陣取り、皆が踊るのをしばらく見ていた。
すると後ろから、声を掛けてくる人がいた。
閉鎖病棟の関根利夫さんだった。
なぜか頭が、スキンヘッドになっていた。
「ひでまるさんじゃないか!お久しぶりだね!元気にしてる?ひでまるさん、開放病棟に移ってから、全然音沙汰が無いから、もう退院したのかと思ったよ」
「関根さんこそ、お久しぶり。何でまた、スキンヘッドにしたの?あの天然パーマが似合っていたのに」
「看護師に無理やり、やられたんだよ。この頭じゃあ恥ずかしくて、外に出られないよ」
「どうせ全部の扉に、鍵が掛かってるんだから、丁度良いじゃん」
関根さんはムッとした顔つきで、こちらを睨んできた。
「開放病棟に移ったからって、調子に乗るなよ!」
「スキンヘッドで凄まれると、何だか怖いな」
「ふざけたこと言いやがって、勝手にしろ!」
関根さんは怒って、行ってしまった。
このやり取りを見ていた、渡辺広木さんが言った。
「あまり閉鎖病棟の人をからかったら駄目だよ、ひでまるさん。それじゃなくても、関根さんはハゲが進んできて、落ち込んでるんだから」
「ははは、渡辺さんも言うね」
僕は、渡辺さんの肩を、軽く叩いた。
なぜか渡辺さんとは、ウマが合う。
話も合う。
僕はここ池田病院で、親友を得た思いだった。
僕の前に、閉鎖病棟の看護助手の、前田祥子さんが座っていた。
僕は前田さんに、声を掛けた。
約一ヵ月ぶりの再会であった。
前田さんは相変わらず、ポッチャリしていた。
「ま、え、だ、さん!元気?」
「あ!ひでまるさんだ!お久しぶりって、まだ一ヶ月しか経ってないか」
「ちょっと前田さん、太ったんじゃない?」
「酷い、ひでまるさん!久しぶりに会って、それ、言う?」
「冗談だよ、冗談。それより、仕事が休みの日とか、何してるの?」
「私ね、家に引き籠って、ゲームしてるの。プレイステーション!もう、一日中ゲーム三昧。後、映画観るのも好きだよ。私、トム・クルーズの『トップガン』が好きなんだ」
「僕、トム・クルーズに似てるでしょ。ほら、目のあたりが」
「ちょっと止めてよ!私のトム様と比べないで!」
何だか前田さん、楽しそうである。
僕は、前田さんの笑顔が見られるだけで、幸せだった。
皆、音楽に合わせて、輪になって踊った。
僕はその中に、着物を着た、小川尚子さんを見つけた。
ピンクの着物に、紺色の帯を巻いている。
踊ると袂が揺れ、襟元から綺麗な鎖骨を覗かせる。
色っぽい。
日本民謡に合わせて、お尻が左右に揺れる。
股間が固くなってくるのを感じた僕は、小川さんのすぐ後ろに、割って入った。
「小川さん、小川さん、お久しぶりです!ひでまるです!」
「あら、ひでまるさん!お久しぶりね!元気にしてた?ひでまるさんが開放病棟に行っちゃってから、凄く寂しかったのよ。まだ私で、オナニーしてるの?」
「ははは、小川さんには勝てないな」
僕は、頬を赤らめた。
あまりにも図星だったので、何も言えなかった。
僕は踊りの輪から抜け、屋上の隅に移動した。
すると端の方で、踊りには全く関心を寄せず、一人でスイカを食べている堀口守君を発見した。
堀口君は、一人美味しそうに、スイカを食べていた。
「よ!堀口君、元気?スイカ、美味しそうだね。勉強の方は捗ってる?」
「あ!ひでまるさん!スイカなら、屋上の出入り口の所で貰えますよ。勉強は、全然捗らないですね。あんな汚い病棟じゃあ、勉強なんか出来ないですよ。ここの病院は、いつまで僕を、ここに閉じ込める気かな?」
「まあ、そう焦らず、ゆっくり行こうよ。実家で勉強するより、病院で勉強した方が人目もあって、集中して勉強できるでしょ。入院中に暗記物、全部制覇しちゃいなよ。きっと、もうすぐ退院できるよ!」
「ひでまるさんも、弁護士を目指してるんですよね!退院したら、一緒に勉強しましょう!」
「おう!」
僕は堀口君の元を離れ、スイカを貰いに、屋上の出入り口付近へ行った。
そこでは看護師の人達が、スイカを細かく切って、皆に配っていた。
渡辺さんは両手に、スイカの切れ端を持って、貪るように食べていた。
屋上の東側の奥に、木製の長テーブルが六つ、置かれていた。
そのテーブルには院長を始め、医師、病院関係のお偉いさん方が座っていた。
テーブルの上には、皆それぞれスイカが置かれていたが、手を付ける者は、誰一人居なかった。
皆、一様に冷たい表情で、こちらを見ている。
その目付きは、あからさまにこちら側の人間を、見下していた。
まるで、実験用のモルモットでも見るかのように。
こちら側とあちら側では、永遠に交わることの無い、何かが存在した。
僕は、お偉いさん方など無視して、盆踊りを楽しんだ。
その時である。
福田林子さんが、僕に一緒に踊ろうと、誘ってきた。
僕は、踊りの輪の中に入った。
我を忘れて、がむしゃらに踊った。
前で踊る福田さんのお尻が、右へ左へ、揺れている。
太鼓のリズムに合わせて、福田さんが華麗に舞う。
福田さんの着物の袂が、ゆらゆら揺れる。
僕も、福田さんの踊りを見よう見まねで、必死に付いて行く。
楽しかった。
僕は、非常に楽しかった。
無理やり入院させられてから四ヶ月間、イジメられ、馬鹿にされ、色々と辛い事もあったが、今こうして仲間と踊っている。
僕は理屈抜きで、楽しくて充実していた。
三十分も踊った頃だろうか。
福田さんが、声を掛けてきた。
「ひでまるさん、ちょっと一休みしましょう」
僕と福田さんは、輪から抜けて、隅の方に座った。
福田さんは、桃の様なほっぺを赤らめて、話しかけて来た。
「ひでまるさん、最近、体調はどう?」
僕は今の病状を、包み隠さずに話すことにした。
「最近は幻聴は、大分聴こえなくなりました。幻覚、妄想も大分無くなって、落ち着いてます」
「あら、良かったわね。じゃあ、もう退院も近いわね。こんな檻の中から抜け出せるんだから、せいせいするでしょう?」
「でも正直、檻の中に閉じ込められている間は、自由が無いけど仲間が居て楽しいです。退院したら自由になって良いけど、仲間も居ないし……全部自己責任だから、不安が大きいです。僕退院したら、一人でやっていけるかな……」
「何、弱気になってるのよ!私に告白する勇気があるんだから、大丈夫よ!」
「それもそうですね、ははは」
僕と福田さんは、完全に二人だけの世界に入っていた。
「でも、まだ完治した訳じゃあ無いから、油断しないで気を付けてね」
「はい。まだ時々、幻聴が聴こえるんですよ。祖国統一出来るのはお前しかいないとか、お前は英雄だとか、色々と」
「堅苦しい話は忘れて、一緒に踊りましょう」
福田さんは僕の手を引いて、席を立った。
僕たち二人は、仲良く、踊りの輪の中へ入って行った。
この様にして楽しい夏のひと時も、太陽が暮れて行くのと共に、終わりを告げた。