僕の隣の部屋に、相馬義武さんという人がいる。
元暴力団幹部である。
落ち着いた雰囲気のオジサンで、親分肌で面倒見が良い。
開放病棟内でも、一目置かれる存在である。
たまに僕に、猫の様にじゃれてくる。
愛らしい人だ。
過去に武勇伝を、数多く持っている。
ある日の夕暮れ時、相馬さんの部屋に、須藤一馬さん、石田太郎さん、近藤幹夫さん、そして僕が集まった。
相馬さんは皆に、昔の武勇伝を話してくれた。
「俺はな、統合失調症なんていう訳の分からない病気にかかって、こんな所に入院してるけどな、若い頃は極水会の幹部だったんだ。チャカ振り回して、悪い事一杯して、お巡りさんのお世話になったもんだ」
「どんな悪い事、したんですか?」
須藤さんが、話に飛びついた。
相馬さんは遠くを見つめて、話を続けた。
「ま、そう焦るなよ。俺はまだ駆け出しの二十代の頃、人の指を詰めることを、専門にやらさせられたな。あの仕事が、一番辛かったな。血を見ない日は無かったな。それに、身の毛もよだつ様な悲鳴、泣き叫び暴れる人間の姿が、毎晩夢に出てくるんだよ。あの仕事に馴れるまで、三年は掛ったな。人間の骨って、なかなか切り離すのが、難しいんだよ。関節の所にノミを当てて、ハンマーで叩いて、一気に切り離すんだよ。相手の事を考えると、一気にやっちゃったほうが良いんだよ。その方が、向こうもこっちも楽なんだよ」
「指詰めるのに、医師免許はいるんですか?」
僕は、おどけて見せた。
「ひでまるさん、面白い事言うね。そうだな、医師免許は必須だな。俺は東大医学部卒だからな、アハハ。そうだな、必要なのは度胸と馴れだな。あのノミが骨を砕く感触が、堪らないんだよ」
黙って聞いていた近藤さんが、割って入って来た。
「後は、どんな悪い事したんですか?」
「そうだな、ありとあらゆることをやったな。自動車泥棒、万引き、放火、痴漢、拉致とか、色々とね」
近藤さんは、呆れた顔をして言った。
「それじゃあ、命がいくつあっても足りないや。良く今日まで無事で、居られましたね。尊敬しますよ」
石田太郎さんが、割って入って来た。
「これから相馬さんのこと、兄貴と呼ばせて下さい!兄貴、これからららぽーとに行きませんか?」
この石田太郎という人物、とんでもない食わせ物だ。
一言で言うならば、取るに足らない小悪党である。
いつも朝一番に、病院から無許可で抜け出して、近所のパチンコ屋の、開店待ちの行列に並んでいる。
定期診察日も、風呂の日も、毎回バックレる。
実家の両親とは折り合いが悪く、いつも病院内の公衆電話で、激しく口論している。
アルコールの飲みすぎで、異様に下っ腹が出っ張っている。
一言で言うならば、半端者のクズである。
「ねえ、兄貴!ららぽーとに行って、長崎ちゃんぽん食べましょうよ!」
「駄目駄目!これからテレビで『水戸黄門』やるから、見なくっちゃあ。さてと、お喋りはここら辺にして、休憩室でテレビでも観るか!」
相馬さんはヒョイと立ち上がり、部屋を出て、休憩室へ向かった。
僕も、後に付いて行った。
時刻は、三時五十七分。
もうすぐ、四時だ。
休憩室は患者達で、ごった返していた。
皆、テレビに夢中である。
相馬さんは皆の中に、ズカズカと割って入ると、テレビまで行き、勝手にチャンネルを変えてしまった。
次の瞬間テレビからは、「水戸黄門」のオープニング曲が流れた。
皆、一瞬唖然としたが、チャンネルを変えたのが相馬さんだと認識すると、何事も無かったように、「水戸黄門」のオープニング曲を口ずさみ始めた。
何という存在感!
何という影響力!
相馬義武さんは、開放病棟の影の支配者だった。