入院闘病記(開放病棟) PR

入院闘病記(開放病棟) 図書館での戦い 第5話

翌朝七時、僕は起床時間ピッタリに、目を覚ました。

同部屋の須藤一馬さん、佐藤栄作さん、近藤幹夫さんは、まだ寝入っている様だ。

僕は布団を手早く畳み、その場に座り込み、天井を見上げた。

天井は酷く黒ずんでいて、建物の歴史を感じさせた。

僕が入院して、早四ヶ月が経とうとしていた。

ふと、僕は、

(退院したくない)

と、思った。

僕は、今楽しい。

三度のご飯は美味しいし、ここには仲間もいる。

ここに居れば、寂しい思いをすることも無い。

(そうだ!ずっと、ここに居よう!)

そう思った瞬間、視界の端に、パンツ一丁で寝ている、須藤さんのお尻が見えた。

その瞬間、僕は考えを改めた。

(いかん!いかん!)

(こんな人たちと、いつまでも一緒に、居ることは出来ない!)

(僕は家に、帰らなくてはいけない!)

(一日も早く!)

朝食を済ませると、僕は外出許可を取って、病院の近くにある、図書館へ向かった。

図書館は、僕にとって聖地である。

誰も侵すことの出来ない、神聖なる場所である。

僕は看護師長の小島さんに、書いてもらった地図を頼りに、図書館へと向かった。

開館時間は、朝九時である。

現在、八時五十分。

開館一番目の客を目指す。

これは、昔から身に着いた習性だ。

道に迷いつつも、何とか図書館に辿り着いた。

時刻は、九時ジャスト!

僕は館内に入る前に、気合を入れる為、図書館前の道路の端に設置された、自動販売機で缶コーヒーを買い、一気飲みした。

コーヒーの香りが口の中に広がり、カフェインが脳の中枢神経を刺激する。

(これだから、コーヒーは止められない!)

僕は体内にガソリンを注入すると、いざ、図書館へと向かった。

図書館は、こじんまりとした建物だった。

コンクリートの壁からは、長い歳月の経過を思わせる、面影が漂っていた。

中に入ると、すぐ正面に受付カウンターがあった。

若い女の図書館司書が、満面の笑みを湛て、挨拶してきた。

「おはようございます」

「あ、はい。おはようございます」

僕はとっさに、挨拶を返した。

周りを見渡すと、誰も居ない。

どうやら自分が、一番乗りの様だ。

(してやったり!)

館内は意外に広く、新聞、雑誌閲覧室、児童コーナー等も完備されていた。

僕は早速、一般図書コーナーの椅子に座り、持参した村上春樹の「象の消滅」を読み始めた。

二、三分もしない内に、僕は村上ワールドに引きずり込まれ、夢中でページを繰っていた。

暫く経った頃、僕は視線を感じた。

さっきから警備員が、こっちをジロジロ見ている。

明らかに、不審者を見る目つきだ。

確かに今の僕の状況からして、不審者と言えなくも無い。

平日の午前九時過ぎに、カバンも持たずに、本を一冊片手に持っている。

しかも、頭はスキンヘッド。

そしてボロボロのTシャツに、ボロボロのチノパンだ。

警備員が不審な目で見るのも、無理はない。

警備員が、こちらに近づいてくる。

僕の防衛本能が、作動し始めた。

「おはようございます。朝、早いね」

初対面の僕に、いきなり上から目線で、左ジャブを打って来た。

僕は長い歳月で培われた習性によって、下手にへりくだって答えた。

「おはようございます。お仕事、お疲れ様です」

僕の丁寧な受け答えに勢いづいた警備員は、さらなる右フックを打って来た。

「君、あまり見ない顔だね。近所の人?」

「はい。近所に住んでます」

「こんな平日の朝早くに、図書館に来るなんて、働いてないの?」

警備員はいきなり、右ストレートを打って来た。

僕はそれを、もろに顔面に受けてしまった。

「はい。今、働いてないです。今、体調を崩して病気療養中です。すみません」

なぜか、僕は謝っていた。

調子づいた警備員は、攻撃の手を緩めなかった。

「君、名前は?ちょっと、身分証明書見せなさい」

さすがの僕も、この言葉には耐えられず、堪忍袋の緒が切れた。

「俺、今、精神病院に入院中なんだよ!休憩時間に外出許可を取って、こうやって図書館に来てんだよ!何か文句ある?俺の名前はひでまるだ!在日韓国人だ!何か文句あるか!身分証明書を見せろだと?昨今、法改正があって、在日韓国・朝鮮人は外出時に、特別永住者証明書を携帯しなくて良くなったんだよ!そんなことも知らないのかよ!バカか、お前は!」

僕の急な豹変ぶりに、警備員は腰を抜かして、逃げて行ってしまった。

カウンターパンチ、炸裂!ノックダウン!といったところだ。

警備員をノックアウトした僕は、何食わぬ顔で、本の続きを読み始めた。

僕は、自他ともに認めるハルキストである。

村上春樹の本は、全部持っている。

一冊一冊丁寧に、ブックカバーまで付けてある。

僕は、村上春樹の信者であった。

村上春樹の作品には、「ノルウェイの森」を始め、多くの作品でエロティックな性描写が、多く描かれている。

村上春樹の本は、そこら辺のエロ本よりエロい。

セックス、フェラチオ、クンニリングス等、何でもありである。

僕は息子を勃起させながら、噛り付くように村上春樹の本を読んだ。

一時間位経った頃だろうか。

どこからともなく、声が聴こえてきた。

「あの子、禿てるよ」

「よくあの頭で、外出歩けるよな」

「平日のこんな時間に、図書館に居るところ見ると、働いてないんだよ。見っともない」

僕は、驚いた。

(誰の事、言ってるんだ?どこから聴こえるんだ?)

僕は息を潜めて、声の出所を探った。

うむ、間違いない。

受付カウンターの図書館司書たちの声だ。

「無職って、辛いよね」

「図書館しか行くところ、無いんだよ」

間違いない。

明らかに、僕の事を誹謗中傷している。

僕は悩んだ末、受付の図書館司書達と対決する道を選んだ。

僕は胸を張って大股で、受付カウンターまで歩いて行った。

そして二人のまだ若い、女性図書館司書達に向かって、怒鳴りつけた。

「ちょっとあんたら、さっきから黙って聞いてたら、調子に乗りやがって!あんたらの雑談がうるさくて、こっちは集中して、本が読めないんだよ!いい加減にしろ!」

「あ、それは失礼しました」

図書館司書は、全く悪びれる様子も無く、形式的に謝った。

そして、後ろに居るもう一人の図書館司書に、目で合図を送って、ニヤリと笑った。

明らかに、僕の事を馬鹿にしている。

僕は完全に、キレてしまった。

「あんたら、地方公務員だろ!人一倍真面目に、勤めないと駄目だろ!職務中に雑談の花を咲かせるとは、一体全体どういうことだ?」

「だから、すみませんって謝ってるでしょ?」

「何だ、その顔は?笑ってるじゃないか!反省の色が見えない!人を馬鹿にしてるのか?」

僕は一気に、畳みかけた。

「それにさっき、僕の事を無職だとか言って、馬鹿にしてたな?俺は今、精神疾患を患って、精神病院に入院中なんだよ。働きたくても病気で、働けないんだよ。それで空き時間に、外出許可を取って、こうやって図書館に来てるんだよ。何か悪い事、してるか?どうだ?何とか言ってみろ!」

ここまで黙って聞いていた、若い女性図書館司書が、一言ポツリと言った。

「なんだ……キチガイか……」

僕は、自分の耳を疑った。

段々と、顔が紅潮してきた。

そして、その怒りが頂点に達すると、自分でも知らない内に、怒鳴っていた。

「キチガイとは何だ!キチガイとは!人間、言っていいことと悪いことがあるぞ!地方公務員がそんなこと言って、許されると思っているのか!」

「……」

若い女性図書館司書は、黙り込んでしまった。

僕は、諭すように言葉を続けた。

「君、今、この現代社会において心を病んでいる人が、どれほど多くいるか知らないのか?外見からは分からないが、内では悩みを抱えた人が、一杯いるんだよ。悩んだ末に、死を選ぶ人もいる。君は今、心身ともに元気だが、いつ心を病むか分からないよ。君がいつ、僕の立場になるか分からないんだよ。だから常に、相手の立場に立って、物事を考えられる人にならないと駄目なんだ。『キチガイ』という言葉は、一端の社会人が言ってはいけない言葉だと、僕は思う。今君が、少しでも後悔しているなら、もう二度と僕みたいな思いを、他の人にさせないで欲しい。分かったかな?」

女性図書館司書は、俯きながら言った。

「ごめんなさい」

僕もこれ以上、この人を責めるつもりは無かった。

何だか、気分が白けてしまった。

読書する気分では、無くなってしまった。

僕はその女性に、多分また明日も来るからよろしく、とだけ言い残して、図書館を後にした。

さあ、帰ろう!

仲間たちが待っている!

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