僕が池田病院に閉じ込められて、四ヶ月近くが経とうとしていた。
僕は完全に、ホームシックに掛かっていた。
(この監獄から抜け出したい!)
(家に帰りたい!)
そのことで、頭の中は一杯だった。
僕は、外泊許可を取る決心をした。
四ヶ月も牢屋に、閉じ込められていたのだ。
(シャバの空気が吸いたい!)
(カップラーメンが食べたい!)
(リポビタンDが飲みたい!)
(チョコレートが食べたい!)
(コーヒーが飲みたい!)
僕は、激しくそう願った。
僕は外泊許可用紙に記入を済ませると、それを看護師長の小島奈津子さんに渡した。
その日の夕方、外泊許可が下りた。
僕は明日、土曜日に一泊二日で、実家に帰ることが許された。
土曜日の朝七時半、部屋で食事を済ませて、出発の準備をしていた。
すると、横に居た須藤さんが、話しかけて来た。
「ねえ、ひでまるさん、実家に帰ったら、初めに何やるの?やっぱり、AVビデオ観るの?」
「違うよ。母と一緒に、ファミリーレストランにステーキを食べに行くんだ!ここのところ、シャバの味とはご無沙汰してるからね!今猛烈に、肉が食べたいんだ。それと、カフェインが欲しいね!薬局に行って、リポビタンDを買って、一気飲みするよ!それと、まだまだやりたいことは一杯あるよ!」
「ひでまるさん、最近元気そうだけど、病状の方はどうなの?」
須藤さんが以外にも、真面目なことを聞いてきたので、僕は少し戸惑った。
「もう開放病棟に移ってきて、一ヶ月近くなるけど、最近はもう、幻聴、幻覚、妄想は無くなったね。大分、病状が落ち着いてきたよ」
「ひでまるさん、もう退院も近いんじゃない?実家に帰って、ゆっくりして来なよ」
須藤さんの優しい言葉に、僕は心を打たれた。
僕は朝八時、一階外来受付窓口へと階段を下りて行った。
受付開始時刻は九時であるにも関わらず、一時間も前から一階玄関ロビーは、外来順番待ちの患者達で、ごった返していた。
牢獄の様な池田病院が、こんなにも人気があるのかと思うと、不思議な感じがした。
現代社会において、心を病んでいる人が、如何に多いかが分かる。
精神病院、大繁盛である。
僕は人混みを掻き分けて、玄関ロビーから外へ出た。
車が僕の横を走り去って行く。
親子が楽しそうに、話しながら歩いて行く。
女子高生が歩きながら、スマホの操作に夢中である。
そう、一歩病院の外に出てしまえば、僕が統合失調症の患者だということは誰も知らないし、興味も無いのである。
僕は、自動販売機で缶コーヒーを買い、病院の真向かいにある、公園のベンチに腰掛けた。
(自由だ!)
僕は缶コーヒーを飲みながら、自由を満喫した。
缶コーヒーを飲み終え、僕は最寄り駅へ向かって歩き始めた。
途中、自動販売機でリポビタンDを二本買って、一気飲みした。
最早、カフェイン中毒である。
僕には、麻薬中毒患者の気持ちが、良く分かる。
最寄り駅に到着すると、駅前の公衆電話から、実家の母に電話を掛けた。
「もしもし、母さん?今、駅だよ。家まで二時間半位だよ。帰ったら一緒に、ステーキ食べに行こうね!」
『分かったよ。早く帰っておいで。待ってるよ』
僕は電話を切ると、切符売り場へ行った。
切符を買って、改札口を通り、ホームへと階段を下りた。
ホームはサラリーマン達で、混雑していた。
僕はベンチに座り、サラリーマン達を観察した。
スーツを着て、ネクタイを締め、革靴を履いたサラリーマンを見ていると、自分が本当に、社会のレールから完全に外れてしまったのだと、痛感させられた。
(悲しい……)
(虚しい……)
(惨めだ……)
僕が複雑な気持ちで俯いていると、電車がホームへと入って来た。
僕は押し合い圧し合いしながら、電車へ乗り込んだ。
電車の中は、通勤ラッシュの時間帯ということもあり、込み合っていた。
誰も、僕の事を見る人はいない。
皆、周りに全く無関心だ。
しかし、僕は違った。
僕は、他人の目が気になった。
病的に気になった。
(あの人が今、僕を馬鹿にした目で見た)
(あの人が今、僕の禿てる頭を見て笑った)
全て、被害妄想である。
確かにここ最近、僕は抜け毛に悩んでいた。
大分頭頂部の髪が、薄くなってきた。
でも、道行く人々が皆、僕が禿ているのを見て、馬鹿にして笑っている、などという事は有り得ないことである。
完全なる被害妄想である。
僕は、電車に乗るのが怖かった。
僕は、二時間怯えながら電車に揺られて、実家の最寄り駅に着いた。
駅からバスに乗り、やっとの思いで実家に辿り着いた。
時計を見ると、午前十時半を回っていた。
玄関を上がると、懐かしい我が家の匂いがした。
僕は我が家の匂いを、思う存分に嗅いだ。
それは、自由の匂いであった。
僕は自分の部屋に荷物を置き、母への挨拶もそこそこに、牛丼の吉野家へ直行した。
柔らかい牛肉を想像するだけで、口の中で、唾が出て来た。
僕はお店に着くと、店員さんに牛丼大盛りを注文した。
店内を見渡すと、サラリーマンや肉体労働者、学生たちで賑わっていた。
皆、周りの目など気にせずに、牛肉とご飯を、口の中にかき込んでいる。
店員さんが僕の牛丼を、運んできた。
僕も周りの例に漏れず、牛肉とご飯を、一気に口の中へかき込んだ。
(美味しい!実に、美味しい!)
出汁と醤油と砂糖が、混然一体となって、夢のハーモニーを奏でている。
病院の食事は、徹底して薄味だった。味もそっけもない。
やはり、味噌と醤油が、人間に活力を与えているのだと、強く思った。
僕は五分足らずで牛丼を片付けて、店を後にした。
家に帰ると、仮眠を摂った。
はたと目が覚めて時計を見ると、午後四時を回っていた。
僕はボーっとしながら、リビングのソファーに座っていた。
その時だった!
『あなたは病気じゃあ無いから、入院なんてする必要無いのよ。早く、オナニー済ませちゃいなさい!』
『オチンチン、大きくして!そしたら、祖国統一させてあげる!』
という声が、隣の家から聴こえてきた。
(間違いない!確かに、今聴こえた!)
やはりこの家は、監視カメラで隣の家に、監視されているのだ。
そして隣の家は、日本国政府の指示、命令に、従っているのだ。
これは、幻聴、妄想なんかでは無い!
現実なのだ!
僕は、病気じゃあ無い!
僕は隣の家の命令の前に、無抵抗であった。
リビングから三階の自分の部屋に行き、扉に鍵を掛けた。
そして、布団を敷いて、横になった。
ズボンとパンツを膝まで下して、オチンチンを激しくシゴキ始めた。
もはやそこに、自由意志は存在しなかった。
僕は、強制的にオチンチンを、シゴカされていたのであった。
僕は、程なくして果てた。
夕食は母が、手料理を振舞ってくれた。
母と父と三人で、食卓を囲んだ。
食後、僕は自分の部屋で、色々と考え事をした。
(僕は本当に、病気なのだろうか?)
(気違いなのだろうか?)
(この家のどこかに、監視カメラが付いているのだろうか?)
謎は深まるばかりだ。
夕食後、三階の自分の部屋で、「ビバリーヒルズ青春白書」のDVDを観た。
温暖で華やかな、上流家庭の子弟が多く住む、カリフォルニア州ビバリーヒルズでの青春物語である。
若者たちの、思春期から青年期に掛けての恋愛、悩み、ドラッグ、銃、自殺、人種差別等、現代のアメリカを象徴する、社会問題と葛藤を描いた物語である。
登場人物の一人一人の発言や行動が、自由、平等、権利に満ち溢れている。
僕はドラマを観ながら、自分の生まれ育った環境の違いに、只々驚くばかりであった。
自分は在日韓国人三世として生まれ、儒教の教えの下、厳しい上下関係を植え付けられた。
幼少期の父親による暴力がトラウマとなり、僕は小学生の時から、吃音に悩まされた。
この様な人生を送って来た僕は、「ビバリーヒルズ青春白書」を観ながら、幾度となくカルチャーショックを受けると共に、アメリカ式の自由、平等、権利に対して、純粋な憧れを胸に抱いた。
深夜零時、僕は床に就いた。
翌朝目覚めると、午前九時だった。
今日の午後四時までに、病院に帰らなければならない。
シャバでやり残したことは、只一つしか無かった。
頭を丸めることだ。
今までは中途半端に、長い丸刈りだったが、今回はスキンヘッドにしようと思った。
最近抜け毛が酷くて、全体的に髪が薄くなってきた。
ここまで禿が進んでしまったら、中途半端な長さにするより、思い切ってスキンヘッドにした方が潔い、と思ったからだ。
僕は、朝一番で床屋へ行った。
始めて行く床屋だった。
僕は店主のオジサンに、スキンヘッドにしてくれと、お願いした。
するとオジサンは、心配そうに言った。
「お兄さん、本当にいいのかい?何か悪いことでも、したのかい?」
「いいんです。思い切って、やっちゃって下さい」
僕は、お願いした。
三十分後、僕の頭はツルツルに光っていた。
僕は自分の頭を、鏡越しに見て、踏ん切りが着いた。
僕は、髪を捨てた。
もう、怖れるものは何も無い。
僕は家に帰ると、病院に戻る為の荷造りを始めた。
母が、おむすびを握ってくれた。
僕は、ごま油が利いたおむすびを、ペロリと三つ平らげた。
午前十二時過ぎ、僕は病院に向け、出発した。