入院闘病記(開放病棟) PR

入院闘病記(開放病棟) 強盗放火犯、須藤一馬 第3話 

僕が開放病棟に移されてから、一週間が経った。

僕は八人の大部屋から、四人の小部屋に移された。

新しい四人部屋に入った瞬間、背筋が凍る思いがした。

”あの”須藤一馬が、胡坐をかいて、こちらを見ていたからだ。

須藤さんは、僕と目が合うなり、挨拶してきた。

「なんだ、ひでまるさんじゃないか!この部屋になったの?俺、須藤一馬。よろしくね」

第一印象とは正反対で、須藤さんはとても気さくで、フレンドリーな感じがした。

人は、見た目によらないものだ。

須藤さんは親しげに、僕に話し掛けてきた。

「俺、強盗放火をやらかしちゃって、刑務所にぶち込まれちゃってさ。それで精神鑑定の為に、この病院に送り込まれちゃったって訳よ。最悪でしょ。俺は、いたって正常だってのに、俺の頭がおかしいかどうか、調べるっていうんだよ。一番頭がおかしいのは、この病院の院長だってのによ!」

「そうですね」

「何かこの開放病棟で分からないことがあったら、何でも俺に聞いてね!」

「はい。分かりました」

第一印象は、頼りがいのある兄貴分、といった感じだった。

Tシャツの袖口の下から、顔を覗かせている刺青が、妙に気になった。

同部屋の後の二人は、佐藤栄作と近藤幹夫と名乗った。

佐藤さんは今年で七十五歳、入院歴五十年、不潔恐怖症で入院しているとのことだ。

年代物の大きなラジカセを、枕元に置いている。

近藤さんは、CDプレーヤーで音楽を聴きながら、独りでニヤニヤ笑っていた。無口で、他人とコミュニケーションを取ろうという意思が、全く感じられない。

僕は、変な人たちの部屋に来てしまった、と思った。

その日の夜八時半過ぎ。

もうすぐ消灯時間になろうという頃、廊下の一番奥にある、ナースステーション前に置かれている公衆電話の方から、大きな声が聞こえてきた。

「ママ、ごめんなさい……。もうやらないから許して……。ママ、本当にごめんなさい……」

鳴き声が、廊下中に響き渡っていた。

間違いない。須藤さんの声だ。

何やら、お母さんに泣きついてる様だ。

須藤さんの声は、否応なしに僕の耳に、飛び込んで来た。

「ね!ママ、だからさっきから謝ってるでしょ。ごめんね。明日からは、もうしないから」

この日を境に、僕は毎夜須藤さんの泣き言を、聞く羽目になった。

どうやら須藤さん、毎朝一番で、近くにある実家に帰っている様だ。

勿論、規則違反である。

実家に帰る場合は、外泊許可を取らなければならない。

許可も取らずに、勝手に実家に帰ったら大問題である。

しかも須藤さん、実家のお母さんと、何やら揉めている様である。

ひとつ、はっきり言える事は、須藤さんは重度のマザコンであるということである。

ママのお許し無しには、何も出来ないのである。

毎晩電話で、「ママ、ママ」とやっている。

外見と中身のギャップに、驚くばかりである。

しかも、使っているテレフォンカードは、他人――田口啓輔さんのものである。

ちょっと常識では考えられない人である。

強盗放火犯だというのも、何だか頷ける。

でも、どこか憎めない奴、それが須藤一馬さんだった。

僕と須藤さん、佐藤さん、近藤さんとの、四人での奇妙な共同生活が始まって、一週間が経とうとしていた。

近藤さんは一日中、CDプレーヤーで演歌を聴いている。

佐藤さんは、いつも部屋の片隅で、小さくうずくまって、ウェットティッシュで手を拭いている。

重度の不潔恐怖症が、彼の人生を、大きく狂わせてしまったのだ。常に手を清潔な状態に保つことが、彼の人生の目的になってしまったのだ。

哀れ、佐藤栄作……。君の人生に、幸あることを願う。

とある日の朝、起床時間の七時過ぎ、僕はガサゴソという物音で目を覚ました。

僕は横で寝起きしている須藤さんが、何やら荷造りをしているのである。

僕は、須藤さんに聞いてみた。

「須藤さん、どこか行くんですか?」

「あ、俺、今から朝一で、競艇場に行ってくるからよろしく!外で友達が、車で待ってるんだ。そうだ!競艇場に行く前に、実家のママの所に行って、お金借りないとな」

須藤さんは、さっさと一階玄関広場へと繋がる、階段を下りて行ってしまった。

普通の人の感覚からして、精神病院の入院患者が、無許可で競艇場に行くなど、考えられない。

しかも、賭けるお金を、母親から借りるという。

気が違っている、としか思えない。

毎朝七時過ぎ、嵐の様に須藤さんが出ていくと、ここ開放病棟に平穏な日常が戻ってくる。

池田病院における、僕の大きな不満の一つは、とにかく食事の量が少ないことだ。

どんなに綺麗に全部平らげても、腹七分といったところだろうか。

とにかく皆、常に腹を空かせていた。

そこで僕は、ちょこちょこ外出許可を取り、一人でららぽーとに行き、ザラメの煎餅を買ってきては、皆に隠れて食べていた。

そんなある日、僕が部屋の隅で、バリバリと煎餅を食べていると、丁度、須藤さんが部屋に入って来た。

「お!ひでまるさん!何か美味しそうなの、食べてるね!」

僕は、不味い所を見つかってしまったと思った。

「これ、ザラメの煎餅なんだ。よかったら、一枚あげるよ。美味しいよ!」

煎餅を一枚取って、須藤さんに渡した。

須藤さんは嬉しそうに、バリバリと音を立てながら、煎餅を食べた。

僕は、須藤さんがあまりにも美味しそうに、煎餅を食べるので、何だか可哀そうになって、もう一枚煎餅をあげた。

彼も、ここ池田病院の飢える患者の一人だった。

次の日の夕暮れ時、須藤さんが競艇場から帰ってくると、僕の所へ来た。

「ひでまるさん、昨日のザラメの煎餅、ありがとう!これ、そのお返し。焼きたてのパンだよ。それと、パンの上に掛けるハチミツだよ!」

と言って、焼きたてのパンと、小さなケースに入ったハチミツをくれた。

僕は、素直に感動した。

須藤さんのことを、単なるゴロツキのヤクザ、犯罪者だと思っていたが、こんな義理堅い一面を持ち合わせているのだ。

人は見かけによらないものである。

人間の本質は、付き合ってみないと分からないものである。

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