とある日の朝。
僕は朝食を食べ終えて、休憩室でテレビを観ていた。
するとそこへ、小島奈津子さんが駆け足で来た。
「いた!いた!ひでまる君!探してたのよ!池田院長が、大事な話があるって。今すぐ、ナースステーションに来て!」
「はい。分かりました」
僕は何となく、呼ばれた理由がピンと来た。
それは、「退院」である。
もう僕が医療保護入院で、強制的に入院させられてから、はや四ヶ月になる。
もうそろそろ、出してくれても良い頃だ。
僕はドキドキする胸を抑えながら、小島さんの後ろについて、ナースステーションへと向かった。
ナースステーションに入ると、池田先生が珍しく、笑顔で迎えてくれた。
「ひでまるさん、おはよう!最近は、落ち着いていて元気そうだね!まあ、その椅子に座りたまえ。今日呼んだのは他でもない、ひでまるさん、今日、退院だよ!おめでとう!良く、四ヶ月間頑張ったね。親御さんの方には、もう電話でお知らせしてあるからね。今日の午後二時に、退院です。おめでとう!もう最近のひでまるさんを見ている限りでは、とても落ち着いていて、病状も安定していて心配ないよ」
「はい。ありがとうございます!」
「それで、これからの事なんだけど……」
池田先生は急に顔を引き締めて、言葉を続けた。
「ひでまるさん、退院後、うちの病院が運営する、グループホーム『みつば荘』で、生活してみないかね?同じ悩みを抱えた者同士が集まって、集団生活を送るから、寂しくなくて心強いぞ!仲間が居るというのは、本当に良いものだよ。それで昼は、『みつば荘』の隣の『みつば会共同作業所』で、パンを焼く仕事をするんだ。どうだね?楽しそうだろ?」
「はあ……」
僕は、急な話の展開に付いて行けず、戸惑った。
「いいですか、ひでまるさん。精神疾患患者同士が寄り添って生活することは、とても大切な事なんですよ。お互いに共同生活をする事により、助け合い、励ましあい、互いに勇気を貰って、生きていけるんだよ。どうだね?『みつば荘』で、生活してみないかね?」
「はい。大変申し訳ないんですけども、実家に帰って、両親と一緒に暮らそうと思います。それで、ヘルパー2級の資格を取って、介護の仕事をしようと思います。申し訳ないです」
僕は先生の誘いを、きっぱりと断った。
先生は不満そうな顔をしたが、しぶしぶ了解してくれた。
「分かりました。君がそこまで言うんだったら、そうしましょう」
僕は、ホッとため息をついた。
池田院長の話は続く。
「それでっと。退院後も外来診察という形で、週に一回、診察を受けに来て下さい。いいですね?」
「先生、僕家から病院まで、片道二時間半掛かるんですけど、診察を月に一回位に、してもらえないでしょうか?」
「いや、駄目です!週に一回のペースで、外来診察に来て下さい。ひでまるさんの体調が心配なので、週に一回会って、お話ししましょう。退院できたとはいえ、まだ油断は禁物ですよ」
「はい。分かりました」
「よし!これで、一件落着だね。そうそう、ひでまるさん、聞いた話によると、かなりのコーヒーマニアらしいじゃないの。いや、何を隠そう、僕もコーヒーが大好きでね。一日に缶コーヒー、二本は空けちゃうんだよね。ひでまるさんは一日に、どれ位コーヒー飲むの?」
「ははは、院長先生もカフェイン中毒患者なんですね!こりゃあ、困った、困った。僕も一日に、三本は空けますよ。僕、コーヒーを飲むとハイになって、幸せの絶頂に達するんですよ。先生にもこの感じ、分かりますよね?」
「うん。分かるよ。良く分かるとも。でも、あまり飲みすぎには、気を付けたまえ。では、午後二時まで、待機していて下さい。何はともあれ、退院おめでとう!」
僕はナースステーションを後にして、自分の部屋へと戻った。
部屋には渡辺広木さんが、待ち構えていた。
僕が、今日の午後に退院すると告げると、渡辺さんは我がことのように、喜んでくれた。
「ひでまるさん、退院した後も、お互いに連絡取り合おうね!」
「うん。当たり前じゃん!今度皆で、女の子呼んで、合コンしようね!」
「いいね!さすが、ひでまるさん!渡辺ナンパ塾塾生のことだけはあるね!」
「渡辺先生にはこれからも、まだまだ教わらないと駄目なことがありますから」
「授業料高いよ!覚悟しておく様に!」
僕は渡辺さんと、最後の別れを惜しんだ。
午後二時十五分、十五分遅れで父と母が、病院に到着した。
「おう!ひでまる!遅れて、すまん。道が混んでてな。さあ、準備が出来たら帰ろう!」
父が急かせた。
母は、渡辺さんと何やら話し込んでいる。
僕はナースステーションに、最後の挨拶をしに行った。
ナースステーション前で、小島奈津子さんが迎えてくれた。
「ひでまるさん、いよいよ退院ね!もう、こんな所に戻ってきたら駄目よ!ひでまるさんは外の世界で、十分やっていける人間よ。人生、何度でもやり直せる!負けちゃあ駄目よ!それと、お父さんとお母さんを大切にして、一日も早く自立してね。後、私の事、忘れないでね!私、まだ独身だから!」
僕は、目頭が熱くなってきた。
「はい!一日も早く、社会復帰出来るように頑張ります!小島さん、独身だったんですか?それを早く、言って下さいよ!」
「馬鹿!早く言ったからって、どうなるものでも無いでしょ!」
「それもそうですね、ははは」
僕と小島さんは、腹の底から笑った。
「小島さんの広い背中と、豊満な胸は一生忘れません!」
小島さんは、僕を睨んだ。
「そんな馬鹿な事ばかり言ってると、またすぐここに、戻ってくることになるわよ!」
「はい。すみません。今日から心を入れ替えて、社会復帰に向けて頑張ります!それでは、さようなら!」
「さようなら!元気でね!」
僕と父と母は、病棟の皆に見送られて、病院を後にした。
時は、九月末。
木々の葉が、秋の風に揺られていた。
道端に咲くコスモスが、僕たちをどこまでも見送ってくれた。