入院闘病記(閉鎖病棟) PR

入院闘病記(閉鎖病棟) 勤行を唱える青年 第8話 

僕と同じ部屋で、隣の席の吉田洋治君は、いつもコンピューターゲーム雑誌を見ながら、ブツブツと独り言を呟いていた。

友達を作ろうともせず、いつも独りだった。

寂しい素振りも見せず、むしろ孤独を楽しんでいる様に見えた。

かなりのヘビースモーカーで、いつも喫煙所に屯していた。

一度僕は、思い切って吉田君に話しかけてみた。

「ねえ、吉田君は前に、何の仕事してたの?」

「看護師……」

「どうして辞めちゃったの?」

「……」

「何のゲームが好きなの?」

「ドラゴンクエスト……」

「ロールプレイングゲームが好きなんだ」

「……」

「彼女とかいるの?」

「……」

吉田君は、終始無口だった。

友達に全く関心が無いのだろう。

(何てつまらない奴なんだ!)

とある日曜日の午後、食事が終わった後の閑散とした食堂の隅で、看護師の岡田さんと吉田君、それに見知らぬ女性が一人、輪になって何やら話していた。どうやらその女性は、吉田君の母親らしかった。

僕は何気なく三人に近づき、会話を盗み聞きした。

「ママ、僕、早く退院したいよ!」

「洋治ちゃん、あまり焦らないで、先生や看護師さん達の言う事を、良く聞くのよ」

「はい、ママ。でも、僕もう治ったし、早くここから出て、家に帰ってゲームしたいよ!」

話を聞いていた岡田さんが、たしなめに入る。

「まあ、吉田君、そう焦らずに、ゆっくり病気を治していきましょう。吉田君には私がついてるから!」

「本当に色々と、うちの洋治がご迷惑をお掛けします」

「いえいえ、こちらも仕事ですから」

岡田さんは、ニコリと微笑んだ。

「ママ、また来週、面会に来てね。絶対だよ!」

吉田君、マザコン全開である。

ここ閉鎖病棟において、一番面会が多いのが吉田君であった。毎週日曜日の昼過ぎ、食堂から「ママー!」という声が、廊下に響き渡る。

何を隠そう、面会の回数が多いのは、吉田君に続いて僕が二番目であった。

僕は吉田君と知り合って間もなく、敵対関係に陥ることとなった。

その原因は、僕のことをハゲと罵って来たからである。

吉田君は事あるごとに、公共の場で僕を罵った。

僕は吉田君に、イジメられていたのである。

そんな僕を、助けてくれる人は誰もいなかった。

実社会においてイジメに遭い、精神病になり、ここ精神病院に入院してもイジメられるのである。

泣きっ面に蜂、である。

僕はどこえ行っても、イジメられる運命なのである。

禿げていることが、そんなに罪深いことなのであろうか……。

ある朝、とうとう僕と吉田は、激しくぶつかることになった。

皆朝食を食べ終えて、横のテレビのある休憩室で、一服していた。

僕もタバコは吸わないが、皆と一緒に、テレビを観ていた。

平和なひと時であった。

そこへ突如として、

「ハゲ!」

という大きな声がした。

吉田である。

全く無意味に、

「ハゲ!ハゲ!」

と、大声で連呼しながら、蔑んだ目つきでこちらを見ている。

この時ばかりは、大人しい僕も、ブチっと切れてしまった。

僕は鬼の形相で、吉田の前に行き言った。

「誰がハゲだって?誰に言ってるんだ?ああ?答えろ!答えによっては、殴り倒すぞ!」

「……」

「おい、お前に聞いてるんだ!何とか答えろ!吉田!」

「……」

怒り狂う僕を前に、吉田は無表情で横を向き、タバコを吸い続けた。

吉田は僕の挑発に、乗ってこなかった。

とんだ腰抜けのマザコン野郎である。

それ以降も、事あるごとに吉田は、

「ハゲ!ハゲ!」

と、大声を上げ、僕を挑発してきた。

僕はどうにかして吉田の奴を、ギャフンと言わせたかった。

四六時中、吉田の弱点を探していた。

そんなある日の夕暮れ時、僕が部屋で小説を読んでいると、横の席の吉田君が、今までゲーム雑誌を読んでいたのに、急に正座をした。

そして、目をつぶり両手を合わせて、何やら独り言をブツブツと呟き始めた。

それは、異様な光景であった。

僕は暫く黙って、吉田君を観察していた。

どうやら、何かお経を唱えているらしい。

小冊子を片手に、吉田君は三十分位、ブツブツとお経を唱えていた。

「南無妙法蓮華経……南無妙法蓮華経……」

吉田君は最後にそう呟くと、足を崩した。

どうやら、終わったらしい。

僕は思い切って、吉田君に聞いてみた。

「ねえ、今、何してたの?」

「ああ、これは勤行(ごんぎょう)って言うんだよ。姿勢を正して正座して、日蓮大聖人様にご祈念するんだ。心が洗われるようだよ。母の勧めで五年位前に、創価学会に入信したんだ。職場でイジメに遭い、看護師を辞めて、独りで部屋に引き籠っていた時、日蓮大聖人様が僕を救って下さったんだ!」

「へえ……創価学会か。日蓮大聖人様か」

僕は前から、政治や宗教に強い関心を持っていたので、吉田君に色々と聞いてみたくなった。

普段無口な吉田君は、ここぞとばかりに雄弁に語り始めた。

「創価学会は公明党の支持母体で、世界平和を掲げる宗教法人なんだ。名誉会長の池田大作先生は、弱者救済を唱える凄く偉大な方なんだ。僕は先生が執筆された『人間革命』は、全巻読んだよ。読みながら、何度も何度も泣いたよ」

「池田大作ってどんな人?」

「創価学会三代目名誉会長で、人望の厚い慈悲深いお方だよ」

「実は僕、政治とか宗教に凄い興味があって、公明党のこと好きなんだ。だから、支持母体の創価学会にも、凄く興味があるんだ」

「ひでまるさんも明日から、一緒に勤行やろうよ!」

「うん。考えてみる」

吉田君は畳みかける様に、僕のことを誘ってきた。

僕は宗教には興味があったが、正直、毎日の勤行は面倒だなと思い、言葉を濁しておいた。

毎日吉田君は夕食後の自由時間、壁に向かって正座をして、三十分間勤行をしていた。

僕はその健気な姿に、感銘を覚えると共に、宗教の恐ろしさを垣間見た様な気がした。

毎週木曜日、作業療法の一環として、「音楽の森」という音楽教室が開かれる。

僕はこの「音楽の森」を、毎週心待ちにしていた。

そして今週も、木曜日がやって来た。

僕はいつも渡辺さんとつるんで、「音楽の森」に参加していた。

一度吉田君を誘ったことがあったが、全く興味が無い様で、断られた。

「音楽の森」では、外から来たピアノの先生が、患者がリクエストした曲を、ピアノで弾いてくれるのである。

皆その音楽に合わせて、合唱するのである。

閉鎖病棟と開放病棟の男女が、三十人位勢揃いする。

僕が、一番楽しみにしている時間であった。

僕は渡辺さんと一緒に、午後の作業療法の時間になると、足早に一階にある作業療法室に、駆け付けた。

レクリエーション担当職員の福田林子さんは、僕の姿を見るや、にっこりと微笑んで声を上げた。

「今日もひでまるさん、一番乗り!」

福田林子さん。僕が入院中、本気で恋してしまった女性。

美人とは言えないが、性格がとても良く、何かと僕に、構ってくれた。

最初僕は、福田さんが話し掛けてきても、あまり取り合わず、距離を置いていた。

しかし、度々機会がある度に、積極的に話し掛けてくる福田さんに、僕はいつしか好意を持ち始めていた。

そして、一か月もすると完全に僕の方が、惚れ込んでしまっていた。

僕は事あるごとに、福田さんに接近しては話し掛け、無理に用事を作っては、福田さんに会いに行った。

そんな僕を、福田さんは受け入れてくれた。

僕たちは完全に、お似合いの相思相愛のカップルだった。

僕が患者でなければ、の話だが……。

ある日、僕は意を決して、福田さんに告白することにした。

お昼の作業療法が終わり、皆ゾロゾロと病棟に帰って行った。

僕は誰も居なくなるのを待って、福田さんを作業療法室裏に呼び出した。

福田さんははにかんだ笑顔で、

「ねえ、話って何?何?何かドキドキしちゃう!」

と、おどけて見せた。

(可愛い!何て可愛らしいんだ!食べてしまいたい!)

僕ははやる気持ちを抑えながら、口を開いた。

「僕、福田さんのことが好きです!大好きです!退院したら、僕と付き合って下さい!携帯電話の番号、教えて下さい!お願いします!」

福田さんは、驚きと困惑が入り混じった顔をして、おもむろに口を開いた。

「ごめんなさい。私もひでまるさんの事好きだけど、患者さんとは恋愛出来ない規則になってるんだ。ごめんなさい……。病院の規則なの……」

ひでまる、撃沈!玉砕!

この出来事以後も、福田さんは変わらず今まで通り、僕に接してくれた。

感謝!感激!

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