強迫性障害について PR

私を救ってくれた森田療法

私の人生を狂わせた雑念恐怖症

私は20年前から、強迫性障害に苦しんでいます。

主な症状は、雑念恐怖症です。

何かを見ようとすると、その周辺にあるものが気になって、そちらの方ばかり見てしまい、本来見るべきものが見られない、という症状です。

本当に正常な人から見ると、奇々怪々な病気です。

強迫性障害発症の動機は、20年前の過去に遡ります。

私は某製薬会社の工場で、働いていました。

当時私は、激しいいじめに遭っていました。

工場主任に目を付けられて、工場内で変な噂を広められました。

「あいつは仕事中、いつも親指ばかり見ているキチガイだ!」

「あいつは親指ばかり見ている変態だ!」

私はこの様な噂を毎日耳にする様になり、(俺って本当に親指ばかり見てるのかな?)と、疑問に思い始めました。

そしてある日を境に、本当にチラチラと仕事中に、親指を見る様になりました。

その日以後、毎日一日中親指が気になって、チラチラと見る様になりました。

そして日を追うごとに、チラチラ見る対象は、親指からその周辺のものへと拡大していきました。

そして毎日あちこちが気になり、本来見るべきものを見ることが出来ず、仕事どころでは無くなってしまいました。

その後私は母に連れられて、精神科を受診することになりました。

診察の結果、強迫性障害ということで抗うつ薬(SSRIー選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を処方されました。

私はこれで、この親指が気になる病気ともさよならできると思い、嬉しさでいっぱいでした。

しかし、薬を飲み始めて一か月が経ち、二か月が経っても、一向に強迫症状が消えることはありませんでした。

逆に副作用ばかりが出て、苦しめられました。

私は病院の待合室で、親指ばかりチラチラ見てました。

病院の薬を飲んでも治らない……私は地獄の底に、突き落とされました。

私は毎日、工場主任から激しいいじめを受け、工場を退職することになりました。

私の人生は、終わりを告げようとしていました。

森田療法との出会い

私は工場も退職し、強迫性障害も一向に治らぬまま、鬱々とした気分で家に引き籠っていました。

当時33歳、自分の人生は終わったと思いました。

無職で精神疾患を抱えて、この先この競争社会をどうやって生き抜けばいいのか、全く分かりませんでした。

とある日、私はふらっと近所の本屋さんへ行きました。

そして何気なく書棚を見ていると、「森田療法」という本に目が行きました。

私は目次をパラパラとめくり、興味を引かれたのでその本を購入し、急いで自宅へと帰りました。

そして自室で一ページ目を読み始めると、夢中になってしまい、一晩掛けて、一気に読み通してしまいました。

正に「目からうろこ」でした。

私の雑念恐怖症は、一夜にして目を見張るほど、改善しました。

正に森田療法は、強迫性障害を克服する為の奇跡の法と言えます。

私が心打たれた教えが、いくつかあります。

「恐怖突入」 不安感情、不快感情があっても、その感情から逃げること無く、その感情を真っ向から受け止めて、為すべきことを為していく、という教えです。恐怖を怖れ逃げるのでは無く、恐怖の中に飛び込むのです。

「不安常住」 不安から逃げるのでは無く、常に不安と一体化せよ、という教えです。不安と一体となれば、不安感は初めは強く感じるが、時を経るごとに小さくなり、終いには消滅します。

「あるがまま」 症状はあるがままに受け入れて、一切のはからいごとを止め、向上心に乗って自分の為すべきことを為して行けば、人生は自ずと開けていく、という教えです。

恐怖、不安、不快を感じても、はらはらどきどきしながら、為すべきことを一つづつこなしていく。

この様な生活態度が、森田療法の神髄であります。

私は、この本を3回読み返しました。

体の底から、力が湧き出てきました。

私は、(人生、まだ行ける!まだ、挽回できる!)と、強く思いました。

私は無為徒食の生活と縁を切り、昔からの夢だった公認会計士試験に、再チャレンジすることを決心しました。

当時33歳、胸は夢と希望で膨らみ、森田療法の精神で生きていくことを決心した私でした。

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