鈴木さんといつも行動を共にしていたのが、坂上直人君である。
鈴木さんの舎弟である。
端正な顔立ち、金色に染め上げたふさふさした髪、均整の取れた体格の持ち主である。
まだ、弱冠十九歳である。
いつも鏡で自分の顔を眺めては、うっとりしていた。
完全なナルシストであった。
今日も喫煙所で、鈴木さんと二人で幅を利かせていた。
坂上君が、僕に話しかけてきた。
「ひでまるさん、彼女とか居るの?」
「いや、居ないんだ」
「駄目だな!絶対、居た方がいいよ!退院したら彼女ソッコー作りな!俺、外に女待たせてるんだ。退院したらソッコー、セックスするんだ!」
「へえ……羨ましいな。今度、一人紹介してよ」
「いいよ、任せな。女のことなら俺に任せな!その代わり、明日の朝食のパン、一枚俺にちょうだいね」
イケメン坂上君は、女に対しては、やけに強気の様だ。
十九歳という若さの為せるわざであろうか。
頭の中は、セックスのことで一杯の様だ。
坂上君も鈴木さんと同類の人間だと思った。
とある朝、ふと目が覚めてしまった。腕時計を見ると、朝四時だった。同部屋の仲間は、まだ深い眠りの底だ。
八畳の部屋に、八人がぎゅうぎゅう詰めで寝ている。寝ている時に横を向くと、すぐそこに隣の人の顔がある。この二十一世紀の日本において、こんな劣悪な環境は考えられない。部屋の中の空気は、どんよりと淀んでいて、皆の汗が乾燥して酸っぱい臭いがする。畳は所々黒ずんでいて、何十年もの間、精神病患者を支えてきたせいでボロボロだ。
畳に寝転がり天井を見上げると、このかび臭い部屋の、何十年にも渡る歴史を感じる。
僕は横の吉田さんが起きない様に、そっと部屋を抜け出して、廊下に出た。
足音を忍ばせながら、廊下を進んだ。
休憩室、食堂、ナースステーションを通り過ぎて、洗面所へ向かった。
まだ朝四時だというのに、洗面所の大きな鏡の前に、一人の男が立っていた。
坂上直人君だった。
僕は、坂上君に声を掛けた。
「おはよう!坂上君、朝早いね」
「おう!ひでまるさんか!びっくりした。そっちこそ、まだ朝の四時だよ」
「へへへ。何だか眠れなくてね。病棟内を散歩してたんだ。それより坂上君、今日も朝からバッチリ決まってるね!」
「やっぱり、そう?今自分で鏡を見ながら、そう思っていたんだ。ひでまるさん、分かってるね!」
坂上君は嬉しそうに、両手でふさふさした前髪をかき上げた。
坂上君は髪型をセットしながら、話を続けた。
「今日はひでまるさんに、良いことを教えてあげるよ」
「何?何?」
「ズバリ!ナンパのマル秘テクニック!」
「何か凄そうだな!教えて、教えて!」
「高校時代に良くダチと一緒に、原宿の竹下通りで、女の子をナンパしたもんだよ。俺のルックスに、女どもはメロメロだったな。ひでまるさん、女は目で落とすんだよ。目と目が合った瞬間、秒殺で相手の心を支配するんだよ。その時、女に逃げ道を与えちゃあ駄目なんだ。相手の目を通じて心を支配し、秒殺で心を犯すんだ。そしたら、女はもう落ちたも同然、男の意のままよ。分かるかな、ひでまるさん?重要なのは、体よりも先に心を犯すことなんだよ。それも、秒殺でね!」
「ふーむ、何か難しいね。僕には出来そうに無いかも」
「そんなこと無いよ!経験さえ積めば、誰だって出来るよ!」
坂上君は、やっと髪型が決まったらしく、鏡の前から離れた。
「ひでまるさん、俺今から一服したいから、ちょっと休憩室まで付き合ってくれない?」
「うん、いいよ。行こう」
朝四時の病棟内は、夜の墓場の様に静まり返っていた。
ナースステーションの窓からは、そこに人が居ると思わせる明るい光が、煌々と漏れ出ていた。
僕と坂上君は、休憩室へと移動した。
坂上君はタバコに火を付けると、語り始めた。
「俺、高校三年の時に女の子と付き合っていたんだけど、三股掛けてたんだ。一人は同級生で、二人は後輩。三人とヤリまくったね。一番締まりが良かったのが、後輩のメグミちゃんかな。股掛けしてるのをバレない為に、色々と苦労したよ。でも、俺位の神の領域に達すると、やって出来ないことも無いんだな」
「三股ねえ。想像もつかないよ。二股掛けられて、捨てられたことはあるけど……」
「ははは、ひでまるさんらしいね。女は捨てても捨てられるな、だよ!」
「本当、色々と勉強になります」
坂上君は、自信満々に見えた。
女の話をしている時の坂上君は、生き生きとしている様に見えた。
女が彼のエネルギー源であり、潤滑油であり、生きる希望であった。