入院闘病記(閉鎖病棟) PR

入院闘病記(閉鎖病棟) 崩れゆく現実世界 第1話

私は36歳の時、2度目の医療保護入院をしました。期間は4か月間です。この間に起こった出来事、出会った人々、感じたこと、学んだことについて、順に綴っていこうと思います。どうかお付き合いの程、宜しくお願い致します。

(人名は全て仮名ですが、話は全てノンフィクションです)

私は公認会計士になる為、会社に退職届を叩き付け、猛勉強を始めました。

しかし、この頃私は、近所の変な声に悩まされていました。

「お前は民族の英雄だ!祖国統一を果たせるのは、お前しかいない!65年に渡る分断の歴史に、幕を降ろすのだ!英雄よ!立ち上がれ!」

「またあの子、オナニーしてるわよ!」

「勉強の前に、早くオナニー済ませちゃいなさい!」

自分の部屋で勉強していると、来る日も来る日も、隣家から意味不明な謎の声が、聞こえて来ました。私は次第に、隣家からの罵声、命令に、従う様になって行きました。

そして、とうとう我を失った私は、ある日、父に暴力を振るいました。父の顔を、何度も何度も殴りました。

それが原因で、父の判断で、私は精神病院に医療保護入院することになりました。

車で病院の玄関前に到着した時、既に夜8時を回っていた。辺りは漆黒の闇に包まれていた。

病院の前にある公園の片隅では、浮浪者たちが忙しそうに、寝支度を始めていた。

僕と父と母は、病院の前で車を降りた。「池田病院」という大きな看板が、僕の目に飛び込んで来た。

病院の名前の下には、「精神科」と書かれていた。

36歳、無職、童貞、ひきこもりの僕が行き着く果ては、精神病院しか無いのである。

僕は急に不安になり、その場から逃げ出したくなった。僕の気持ちを察知したのか、父の目つきが鋭くなった。僕は逃げられないことを悟った。僕は父、母の表情を見て、全てを諦めた。

病院玄関入り口の両端に付けられているランプが、闇夜の中、煌々と光っていた。

既に大人たちの間で、全てが段取り済みなのだろう。

僕たちが病院入り口のドアを開け中に入ると、一人の男が足早にこちらに、走り寄って来た。

髪はオールバック、体格の良い大柄な体つき、均整の取れた顔つきをしていた。

「ひでまるさんのご家族の方たちですね。私、ケースワーカーの阿部吾郎と申します。診察室で先生がお待ちなので、直ぐに向かって下さい」

僕がこのケースワーカーを嫌いになるのに、そんなに時間は掛からなかった。この男、何とも言えぬ周りを威圧する雰囲気を、醸し出していた。

僕は、診察室に通された。

その部屋は6畳ほどの広さで、中央に木製の簡素な机が置かれ、その脇には小さなベッドが置かれていた。全体が白一色で統一された、落ち着いた雰囲気の部屋だった。

しかし、部屋全体に重苦しい死臭が、漂っていた。

机の向こうに、まだ30代前半に見える、白衣を身に纏った青年が座っていた。まだ、あどけなさを残した顔立ちをした、好青年に見えた。どう見ても、自分より年下に見えた。

先生は優しさの中にも厳しさのある声で、僕に語り掛けてきた。

「私、院長の池田光治と申します。大丈夫ですか?落ち着いて何でも話して下さい」

僕は、すかさず口火を切った。

「先生、僕の部屋に監視カメラが付いていて、近隣の家の人達がそれを見て、僕に命令してくるんですよ。お前は英雄だとか、祖国統一の為に立ち上がれとか、勉強の前に早くオナニー済ませちゃいなさいとか、色々と命令して来るんですよ」

父が話に割って入った。

「いいか、ひでまる、それはみんな幻聴だ。お前は統合失調症が再発したんだよ。完全に病気だ。まともじゃない。先生に良く診てもらおうね」

「僕は病気じゃない!部屋に監視カメラが付いてるんだ!悪いけど僕は、家に帰らせてもらう!」

僕は先生に捨て台詞を吐き捨て、席を立って診察室を出ようとした。

すると、先生の合図のもと、診察室の奥で待機していた、二人の大柄な看護師たちが走ってきて、僕を無理やり力づくで取り押さえ、椅子に座らせた。

池田先生の顔つきが、悪魔の様に、厳しい顔つきに変わった。

「ひでまるさん、あなたは今、非常に興奮しています。詳しい話は明日聞くことにして、今日は病院で、ゆっくり休んで行って下さい」

僕は、この時、悟った。

これはアドバイスや助言では無く、命令なのだ。

僕は父によって、医療保護入院させられたのである。

医療保護入院とは、精神保健指定医が診察して、入院の必要性があると判断し、保護者が入院に同意したら、強制的に入院させることができる制度である。

ひでまる、人生で二度目の医療保護入院であった。

36歳、無職、童貞、ひきこもり……。

僕の行き着く所は、図書館か精神病院しか無かった。

僕はその夜、三階閉鎖病棟の保護室に、有無を言わさず押し込められた。そこは四畳半位の広さで、四方の壁と天井を、白色に塗られたコンクリートが無表情に取り囲み、その所々が剝げ落ちていた。中には剝き出しの便器が一つと、布団が一式あるだけだった。東側の壁に小さな窓が付いていたが、ガラスが曇っていて、外を窺い知ることは出来ない。

壁には、患者たちが爪で引っ掻いた跡が、無数に残っていた。

隣の保護室から、怒鳴り声が聞こえた。

「俺は病気じゃない!正常だ!早くここから出せ!訴えてやる!弁護士を呼べ!」

精神病院の保護室は、人間の墓場であった。

小さなゴキブリが一匹、僕の足元を、足早に横切って行った。

部屋全体を、夥しい死臭が包んでいた。

僕は独り、保護室の暗闇の中で泣いた。

泣きに泣いて泣き疲れ、気が済んだのか、自分でも知らぬ間に、眠りに落ちていた。

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